Mijn Feyenoord

Feyenoordを中心にNederlands voetbalを追いかける

なぜフェイエノールトは弱くなったのか

「なんでフェイエノールトは弱くなったの?」とよく聞かれます

理由はいろいろあるでしょうが・・・

1番の理由は監督交代の嵐。

UEFA杯を獲ったファン・マルワイクがドイツに去ったのが2004年夏。

その後の監督の名前を挙げていきましょうか・・・

(2004-2005) ルート・フリット

(2005-2007) エルウィン・クーマン

(2007-2007) レオ・ベーンハッカー (暫定)

(2007-2008) ベルト・ファン・マルワイク

(2008-2009) ヘルティアン・フェルベーク

(2009) レオン・フレミングス (暫定)

(2009 7月から) マリオ・ベーン

ほとんど全員1年もってないわけです。ファン・マルワイクだけはボンズコーチに担がれてKNVBに奪われた形で、あとは辞任&解任の山。今思うとよくエルウィン・クーマンは1シーズンもったなと・・・。こんな体たらくで計画的な補強だとか戦術の浸透だとかできるわけが無く、チーム力はどんどん低下。

2007年夏の大型補強もマカーイトマソン、モルス、ジオ、デ・クレア、ランツァート、ホフラントと見境無くベテランをかき集めただけで結果はKNVB-beker一つ。彼らとの契約も今シーズンで終わり、ジオ以外はたいした結果も出さずにチームを去るのが濃厚です。

2006年までファン・デン・ヘリク(Jorien van den Herik)さんが会長をしていました。14年間会長職にあり、多くのファンに愛された素晴らしい会長さんでしたが、2006年12月、クラブの財政難と成績不振により増大したメディアとファンのプレッシャーを受けてついに退陣。Gerard Kerkumが一時的に引き継ぎ、2007年夏からDick van Wellが就任したわけですが、そもそも財政難の中でこの会長がなんであんな大補強に打って出たのか今となってはよく分かりません。

現在も不況の影響もあって財政状況は好転せず、若き名監督、生粋のフェイエノールダーであるマリオ・ベーン監督とこれまた名将であり生まれもってのフェイエノールダー、レオ・ベーンハッカーTDの二頭体勢でピッチ内外の名門復活を目指し、少しずつ結果を出していますが、それはまた追々。