Mijn Feyenoord

Feyenoordを中心にNederlands voetbalを追いかける

多言語で読む競技規則 (1. 競技規則とは)

  1. 競技規則とは

細かく見ていく前にそもそも「競技規則とは?」を確認しておきましょう。

 

・言語ごとの名称

英語

日本語

ドイツ語

オランダ語

イタリア語

Laws of the Game

競技規則

Spielregeln

Spelregels veldvoetbal

Il Regolamento del Gioco del Calcio

 

英語の”Game”は試合 (match)では無く競技の意味で使われています。ドイツ語・オランダ語の”spiel/spel”も同じです。イタリア語だけ長い名前で” Gioco”が競技の意味です。オランダ語は室内競技と区別するために”veldvoetbal” (フィールドフットボール)を付け、イタリア語も” Calcio”とはっきり競技名が付けられています。

 

具体的に競技規則とは何か、その目的については、競技規則冒頭(Introduction)の「競技規則の理念と精神」の項に書かれています。(残念なことにIntroductionは各協会によって省略されている事が多く、オランダ語・イタリア語の競技規則には入っていませんでした)

 

(日) “サッカーは、世界最高のスポーツである。すべての国において、また、様々なレベルでプレーされている。その競技規則は、小さな村で行われる子どもたちの試合からFIFAワールドカップ™の決勝戦まで、すべてのサッカーにとって同じである。

 

各大陸連盟、世界中の国々、あるいは町、村であっても、すべての試合に同じ競技規則が適用されるということは、大きな強みであり、維持されなければならない。また、競技規則が同じように適用されることは、どこにあってもサッカーのために用いられることになるに違いない。”

 

(英) “Football is the greatest sport on earth. It is played in every country and at many different levels. The Laws of the Game are the same for all football throughout the world from the FIFA World Cup™ final through to a game between young children in a remote village.

 

That the same Laws apply in every match in every confederation, country, town and village throughout the world is a considerable strength which must be preserved. This is also an opportunity which must be harnessed for the good of football everywhere.”

 

競技規則は世界中で行われるフットボールという競技において普遍的なものであり、それはつまりフットボールが世界中どんな試合でも同じようにプレーされ、どんな場所のどんなレベルの試合も本質的には同じものとなるための絶対の基準ということです。そもそもこのフットボールという競技の普遍性を守るのがIFABの存在理由だと言えるでしょう。

 

読んでいて引っかかるのは最後の文章の解釈ではないでしょうか。JFAは”this”を”競技規則が同じように適用されること”と明確に書き直して”which~”をかなり意訳している印象ですが、改めて読んでみて自分にはいまいち意味が分かりませんでした。この部分をドイツ語で読んでみましょう。

 

(独) “Dass in jeder Konföderation, jedem Land, jeder Stadt und jedem Dorf die gleichen Spielregeln gelten, ist eine grosse Errungenschaft, die es zu verteidigen gilt. Es ist aber auch eine Chance, die im weltweiten Interesse des Fussballs genutzt werden sollte.”

(同じ競技規則があらゆる連邦、あらゆる国、あらゆる街、あらゆる村で用いられているということは守るべき大きな成果である。だがそれはFussballの世界的な利益のために用いられるべき機会でもある)

 

つまり「世界中で同じ競技規則が用いられているという事が、この競技の世界的利益に繋がるきっかけとして利用されなければならない」という意味だと読めます。自分はこの文章を「競技規則を変更する際に、世界的な利益にならないものは受け入れられない」という文脈で捉えています。例えば「ゴールの大きさを変える」、「テクノロジーの義務付け」などは、世界中の同じレベルで変更できるルールでは無く、そういった「世界的な利益」に繋がらないルール変更は「競技規則の普遍性」という盾によって防がれるということになります。

 

 

・競技の精神

フットボールのルール議論で度々言及されるものに”競技の精神“ (英) “spirit of the game”というものがあります。ちょうど上記の次の文章で出てきますので、細かく競技規則を読んでいく前に、その言葉についても各言語の訳でどのように扱われているかを見てみましょう。

 

(日) “サッカーには、競技規則がなければならない。「美しいサッカー」の美しさにとって極めて重要な基盤は「公平・公正さ」である。それは、競技の「精神」にとって不可欠で重要な要素であり、競技規則によって担保される。”

 

(英) “Football must have Laws which keep the game ‘fair’ as a crucial foundation of the beauty of the ‘beautiful game’ is its fairness – this is a vital feature of the ‘spirit’ of the game.”

(footballには競技を「公平に」保つ規則がなければならない。「美しい競技」の美しさの重要な基盤は公平さであるためであり、それは競技の「精神」の不可欠な機能である)

 

(独) “Die Spielregeln müssen fairen Sport garantieren, da Fairness zum Wesen des Fussballs gehört und zu einem wesentlichen Teil dessen Faszination ausmacht.”

(公平さはFussballの本質の一部であり、その魅力を形成する不可欠な部分であるため、競技規則は公平なスポーツを保証するものでなければならない)

 

もとの英語と日本語訳では明らかな違いがあり、接続詞 “as“とハイフンで文章が繋がっているため、JFAはここでもだいぶ工夫して訳しています。そしてドイツ語訳ではなぜか“競技の精神“についての部分がありません。これは実際読み比べてビックリしました。ドイツ語訳ではこの文章がある”競技規則の理念と精神” (英: “The philosophy and spirit of the Laws”)のタイトルが” Philosophie und Zweck der Regeln” (“ルールの理念と目的”)となっていて、そもそも「精神」という概念自体がこの項では無いのです。

 

次の文章は上記に続く“競技規則改正への対応“ (英) “Managing changes to the Laws“の項からです。

 

(日) “競技規則は発生し得るであろうすべての状況に対して言及することはできないので、具体的事象についての規定はない。IFAB は、審判が競技の「精神」に基づき判定を下すよう求めている。これにより、しばしば「サッカーは何を求めているのか、何を期待しているのか」といった質問を投げかけられる。“

 

(英) “The Laws cannot deal with every possible situation, so where there is no direct provision in the Laws, The IFAB expects the referee to make a decision within the ‘spirit’ of the game – this often involves asking the question, “what would football want/expect?””

 

(独) “Da die Spielregeln nicht jeden Einzelfall abdecken können, müssen die Schiedsrichter selbst entscheiden, wenn konkrete Regelungen fehlen. Sie müssen dabei dem Wesen des Fussballs folgen und sich stets fragen, was wohl der Fussball verlangen/erwarten würde.”

(競技規則は個々のケースを網羅することはできないため、具体的ルールが存在しない場合は審判が自分で判断しなければならない。審判はその際にFussballの本質に従い、Fussballが何を求め、期待しているかを常に自問しなければならない)

 

つまりドイツでは“フットボールの精神“が“フットボールの本質“と書き換えられている…と思いましたが、実際の競技規則の中の条項で“競技の精神/ spirit of the game“と書かれている他の箇所を確認すると全て“ Sinne des Fussballs“と訳されています“Sinn“は非常に多くの意味を持つ名詞で訳語に悩みますが、大雑把に言うと直感的な「感覚・センス」という意味と、「考え方・意図・好み」、「意味・意義・趣旨」という意味に分かれる言葉です。オランダ語では“ geest“を使っているので、ドイツ語では“Geist“になるところですが、この言葉は人間・動物の肉体に対する「精神」、「心」という印象が強い単語ですでの、DFBがそれを避けたということでしょうか。

 

ではそもそも“ Spirit of the game“とは何なのか?オリジナルの英語版と日本語訳では用語集でこの言葉が取り上げられているのでその説明文を見てみましょう (なぜかドイツ語訳の用語集には取り上げられておらず、オランダ語訳・イタリア語訳には用語集自体がありませんでした)。

 

(日) “スポーツとして、また個々の試合における、サッカーの基本的かつ本質的な原則や価値観(第 5 条参照)“

 

(英) “The main/essential principles/ethos of football as a sport but also within a particular match (see Law 5)”

 

スポーツとしての基本的/本質的な原則/価値観というのは分かりますが、個々の試合でのそれがどういうものかは若干想像しにくいです。” ethos”には「(特定の集団に特有の)気風、風潮、行動様式」というニュアンスがあり、具体的ルールがない場合には「その試合での傾向」も踏まえて審判は判断すべきと書いていると読めます。実際の議論では具体的ルールがある場合でも「『試合の流れ』で判定すべき」と主張する人が割といますが、競技規則ではそういうことでは無いとはっきりと書いています。

 

ここで参照されている第5条は主審について取り扱っています。なので次はそれを読んでみましょう。