ヤン・ボスカンプはフェイエノールトの選手時代にヴィレム・ファン・ハネヘムと共にプレーする特権を持っていた。このTV解説者はフェイエノールト・マガジンの最新刊で当時のこと、ヴィレム・ファン・ハネヘムとの個人的な関係についてコラムで振り返った。
デ・クロメ
「ヴィレム・ファン・ハネヘムは2月20日で75歳の誕生日を迎える。心から祝福したいよ。彼のことはいつも素晴らしい人物だと思っている。それはフェイエノールトで一緒にプレーしてた当時から変わらない。私は当時トップチームでは控え一番手だったが、試合中ずっとベンチに座っていると勝利給の半分しか得られないんだ。だからヴィレムはよく残り5分で下がって、私が勝利給を全額貰えるようにしてくれた。あれはクラッセだったね」
フットボール面ではファン・ハネヘムはヨハン・クライフと共にオランダのフットボール史上トップ・トゥヴェーに入る。私個人としてはクーン・ムーラインがその上にいるがね。彼はマイン・ヘルトだから。だが基本的にはクライフとファン・ハネヘムが我々が得た2人のベストだ。
デ・クロメが我々のチームに来た時、我々は突然中盤にとても大きなパワーを得た。ヴィム・ヤンセンとフランス・ハスィルと共に彼が形成した中盤は私がこれまで見た中でベストのもの。ヴィムピーの抜け目無さ、ハスィルの2連メツからのフィニッシュ、そしてデ・クロメのフットボール能力。さらに彼は必要があれば汚れ仕事もできた。あれだけのテクニックに加え、先陣を切って戦いに行く選手というのはオランダでは新しかったんだ。彼はそのやり方で本当にプラスαをもたらした。
私たちはフェイエノールト時代の後もずっと良い関係だったよ。私がAnderlechtの監督時代にヴィムは数日間コーチ・リアセンスのためにインターシップに来たんだ。オランダ・フットボールにあれだけの貢献をした彼がそれをしないといけなかったという時点でお笑いぐさだった。クライフはインターシップ無しにディプロマを得ていたしね。ヴィレムはとても多くのジャーナリストを連れてBrusselに来て、トレーニング中は屋根の下で快適に過ごしていた。彼は全く何もせず、私はそれでサインするしかなかったんだ。あの時は大笑いしたよ。数年後に私はフィテッセに行くことができたはずで、クラブとは完全に話がまとまっていたが、私がオランダで仕事をするための適切な書類が無いという理由でできなかった。その時もデ・クロメはいろいろ言ってくれたんだ。彼はオランダの人々は完全にクレイジーだと思っていたからね。
彼のフェイエノールトに対するフィーリングは私のものと似ている。誰かがクラブに対して酷いことを言えば、彼はその相手を全焼させるだろう、そこは確信している。しかしフェイエノールトとの関係ではクラブにとって時に残念なこともある。彼は自分のコラムでも何度か書いているが、新聞は売らなければいけないからね。そこには常に賛成する人も反対する人もいるが、私はそれは問題では無いと思う。
ヴィレムは普通に好人物。彼は厳しい面があるが、個人的な関係や、親しい関係になれば、彼は親密で懐が深い。ずとそうだった。結局はそれが彼が本当はどういう人物かをより良く物語っているだろう。ヴィレムはとても繊細なハートの持ち主だからね。