状態は2016年に歴史を記した。小クラブ ヘラクレス・アルメロでペーター・ボスの後を引き継いでの2年目、前任者がなしえなかったPOを経ての欧州戦チケットを獲得。欧州での冒険はポルトガルでの山越えの1回だけに終わり、ヘラクレスはEL予選でAroucaに敗れたが、クラブはフットボール地図に載った。
そしていま彼はジュピラー・リーグ17位 ゴー・アヘッド・イーグルス行きを決めた。ステップダウンと言えるが、ステーヘマンはそうは思っていない。なぜ結果を残した監督がジュピラー・リーグの下位チームを選ぶことがあり得るのか?その回答は、ロマンシティシズム、純粋なフットボール・ロマンシティシズムだ。
遠くの照明灯
「子供の頃近所に住んでいて試合を見に行っていたんだ」とステーヘマンは両目を輝かせながら語る。「私はエペに住んでいて、今もそこに住んでいる。堤防を越えると遠くに照明灯が見えるんだ。通りを越えるとそこにはフットボールが息づいている。それはイーグルスだ。素晴らしいよ」
ステーヘマンは41歳になり、指導者として10年以上を経験した。最初はヘルト・ヘールケス、ヘルジャン・フェルベーク、ペーター・ボス、ヤン・デ・ヨンゲのアシスタントとして、ここ3シーズンは自らの足で立っている。
ヘラクレスでの3シーズンは毎年入れ替わるセレクションにも関わらず、残留争いに本当に巻き込まれてはいない。2016年5月22日のハルヘンワールトでの2-0勝利でELチケットを獲得したのがそのハイライトだった。
「ヘルマン・フィンケルス」
彼自身は欧州戦到達の瞬間をスタンドから見守っていた。FC ユトレヒトとの最終戦で彼はスタンドに退席処分を受けていたためだ。しかし彼は「ヘルマン・フィンケルス(トゥエンテ州出身のコメディアン)も我々も誇りに思うだろう」と上手い引用で語っている。
そしていまジュピラー・リーグの17位で苦しんでいるゴー・アヘッド・イーグルスだ。エールディヴィジの監督カルーセルはまだまだ動いてはおらず、ステーヘマンはもっと待つことはできなかったのだろうか?
例えば彼が2番目に愛しているフィテッセ。彼はユース時代を過ごし、エールディヴィジでの最初の試合をプレーしたクラブだ。その当時 1996年の監督はレオ・ベーンハッカー、後にはフランス・タイセン。彼らもまたロマンチストだった。
外部の人間にとってフィテッセとゴー・アヘッド・イーグルスの2クラブは並べられないものに思える。しかもステーヘマンはいつかアーネムで仕事をしたいという意思を決して隠したこともなかった。それならなぜ?もしもアーネマースがボスを取り戻すことができなければ、ボス信奉者のステーヘマンは良い第2候補になれたはずだ。
「私もかつては熱狂的だった」
しかしフィテッセから話は来ず。そしてステーヘマンはスピッツとして44試合に出場したデ・アデラールスホルストで監督キャリアの続きを楽しめることになった。「このスタディオンをクラブとしても大事にしなければならない。フットボールの雰囲気を吐き出すことの無い美しいだけの建造物は今日十分に作られているからね。そのフットボールの雰囲気がここにはあるんだ。そしてピッチの近くで支えてくれる熱狂的なサポーターもいる。私もかつてはかなり熱狂的だった。それは素晴らしいことだよ」
ジョン・ステーヘマンがいてもイーグルスがすぐエールディヴィジに戻る事はおそらく無いだろうが、クララ部は再びフットボール・ロマンチストを得る。