ベンチの前のMarco van Bastenが第4審判に向かって「CKの準備が整うまでに済むからビデオを見てくれ!」と叫んでから10年。KNVBがビデオ審判制度の実現を真剣に考え始めて7年。IFABによって遂にルール導入が認められ、Van Bastenの願いは遂に叶い、KNVBのプロジェクトは大きな収穫を得た。IFABのテスト期間が十分だったかは別にして、フットボール界はビデオ審判という選択肢を手にしたのだ。
「平均10秒もかからない」
KNVBは2013-2014シーズンからビデオ審判のテストを開始。スタディオンの脇に止められたバンの中から審判員が映像を見ながらPK、レッドカード、ゴール(の可能性)の全シーンで判定チェックを繰り返し、ビデオ判定に要する時間、リプレイや誤審の起きる頻度のデータを2年間に渡って収集した。Gijs de Jongは「ほとんどケースでは平均10秒もかからずにビデオ判定行為を終えて主審に助言できる」、「大部分の試合で試合結果に影響するような重大な誤審は起きない」との結果を得られたことで、「ビデオこそフットボールの未来だ」と語っていた。『フットボールを変えないこと』を基本的姿勢とするIFABを説得するために、これこそがまさに必要なデータだったのを彼らは理解していたのだ、
最小限の介入
フットボールを変えずにビデオ判定を行って重大な誤審を防ぐには、ビデオ判定が試合に与える影響を最小限に抑えなければならない。プレーを止める(リスタートを遅らせる)までも無いチェックによって、「ほとんどのケース」でビデオ審判が時間のかかるレビュー行為の選択を即座に排除できるということがVAR制度の最大の強みであり、フットボールがフットボールであり続けながら、ビデオ判定によって重大な誤審を防ぐために必要な条件でもあった。ほとんどの試合のほとんどケースでビデオ審判の存在は選手やファンに認識されることさえ無く、フットボールはなんら変わることが無い。それが多少変わるのは、短いチェックで判断できないような複雑なケースや、「明確な誤審」が確認されたごく一部のケースだけだ。
もちろんこれは理想的成功状況での話であり、当然ビデオ審判は万能では無い。ピッチ上の審判員同様に人間であり、チェックにおける見逃しや、判断ミス、(オペレターと共に)リプレイに手間取ることもある。しかし繰り返すが、最も重要なのは『フットボールを変えないこと』だ。そのため、ビデオ審判制度で最も強調されるべきは「試合の流れへの介入を最小限に抑えること」であり、そのためには「チェック時の判断の正確さ」以上に「明確な誤審では無いケースでリプレイによって試合の流れを妨げないこと」の方が重視される。言い換えれば「明確な誤審を見逃すこと」よりも「明確な誤審では無いのに介入すること」の方がフットボールにとっては害だ。幸いにもIFABの許可を受けて行われた約800試合のデータで7割の試合で明確な誤審は起きず、「疑わしいシーン」もほとんどはグレーゾーンの範囲内に収まっていることが証明されたという事実は、ビデオ審判たちにとってリプレイでのあら探しに躍起になるような事態を避ける、ある種の気楽さを持つ助けになるだろう。
決して必要不可欠な存在ではない
逆に言えば、ビデオ審判は決して必要不可欠な存在では無い。半分以上の試合ではビデオ審判はピッチ上の審判員にとって表に出ない心理的セーフビットであり、選手や監督、ファンにとっては「ビデオ審判が誤審と言わないならそうなんだろう」と疑わしいシーンでも多少納得せざるを得なくさせる程度の心理的影響でしかない。ビデオ審判はフィールド上の審判員にとっては時に足を踏み外すことが避けられない崖での命綱であり、選手にとってはプレーをよりフェアにする担保ではあるが、決してそれ以上の存在では無い。命綱だけでは崖を登ることはできないし、選手がビデオ審判の存在に安心して汗をかかずに勝利を手にすることも無い。フットボールはこれからもピッチ上の人間たち-選手と審判員のものであり続けるし、ビデオ審判以外のビデオ判定制度はフットボールにはあり得ない。