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フィテッセ、マイク・ハーフェナールを獲得発表

水曜日、フィテッセは日本代表のスピッツ マイク・ハーフェナールを獲得したとクラブサイトで発表した。以下、同サイトから引用。

 

1月3日からマイク・ハーフェナールはフィテッセナールになる。火曜日に最後の障害が取り除かれ、24歳のスピッツが日本のVentforet Kofuからフィテッセへ移籍する道を妨げるものは何一つ無くなった。彼はアーネムで2014年夏までの契約にサインする。

 

フィテッセナールとなることに素晴らしい気分」と家族と過ごしていたハワイで短いバカンスから戻ったハーフェナールは日本からコメント。「僕にはこの休暇は絶対に必要だった。この1年はいろんな事がったからね。フィテッセでのスタートを楽しみにしている。クラブの野望は僕に訴えるものがあったし、それに加われることを期待している。僕自身ももっと良い選手になりたいという野望がある。ただから僕の考えはフィテッセとオランダリーグで力を試すのがピッタリだった」

 

マイク・ハーフェナールは控え目に日本語を選んでコメント。彼はオランダ語を話すが、それはたどたどしく言葉を探るものだ。「もちろん僕の母国語は日本語。オランダ語は話せるけど、そんなに慣れた事でじゃない。英語の方がまだいくらか話せるかな。でもすぐに入れ替わると思うよ」

 

(ハーフェナールのプロフィール紹介につき中略)

 

テクニカル・ディレクター テッド・ファン・レーウヴェン 「初めてマイクを見たのはYouTubeの動画だった。彼の経歴はFC ポルトスピッツ ハルクを私に思い起こさせる。ハルクもかつて日本の2部リーグでプレーしていたんだ。マイクは大きく強いだけでなく、ジャンプ力と素晴らしい競り合いの能力がある。左足で強烈なシュートを打て、右足でも正確」

 

日本で試合を観て、その印象は確信づけられたとファン・レーウヴェン。「マイクは我々が抱えているスピッツたちとは違うキャラクターを持っている。彼のスタイルは独特でブレがないが、間違いなくすぐにサプライズを起こせる。あまりボールを持てないチープでのスピッツとしてプレーするのにしばしば苦労していたが、私が見る前でも時々特別なものを見せていた。彼を半年間追ってきたし、マイクとも選手時代もよく知る彼の父親ディドとも話をした。そしてもう一度ジョン・ファン・デン・ブロムと一緒に見て、『獲ろう』と決めたんだ」

 

一方でマイク・ハーフェナールの世界も変わっていた。フィテッセが彼を追いだしたことは比較的無名だったが、2011年にブレイクイヤーを迎えると、Jリーグトップスコアラー、日本代表、そしてフリー移籍になり、日本、ドイツ、フランスの複数クラブが注目する存在になり、フィテッセは多くの競争相手を抱えることになった。ファン・レーウヴェン 「そう。最後まで緊張感があったよ。私が彼を見た最初の試合は、まだスタンドにいた外国人は私だけだったが、今シーズン最後は多くのクラブが獲得に動いていた」

 

マイク・ハーフェナール 「突然いろんな方向から引っ張られても決めるのは難しいけれど、フィtげっせはいつも特別な場所にいてくれた。僕を近くで追ってくれた最初のクラブだったし、テッド・ファン・レーウヴェンは日本まで訪ねてきてクラブの野望を説明して、その後も追い続けてくれた。そして監督のファン・デン・ブロムともう1回来てくれたのが、選手としてとても嬉しかったよ。あれが僕の選択を決定づけたと思う。お金じゃないんだ。僕は自分自身をもっと良い選手へ成長させたい。それには金銭的なことよりも環境の方が役割が大きい。父親とも話をしたけど、オランダリーグは若いFWにとっては素晴らしい場所」

 

フィテッセでハーフェナールはユース代表で一緒にプレーしてきたミチヒロ・ヤスダと再開する。ハーフェナール 「ミチのことはずっと前から知ってるし、とてもいい奴。代表でタジキスタンと北コリアへ言った時、フィテッセの関心はもう具体的だったし僕もファン・レーウヴェンと話をしてあったんだけど、ミチもクラブ、ファン、スタジ、プレースタイル、そしてオランダリーグについてとてもポジティヴだった。彼は僕を連れて行きたがってたよ」

 

マイク・ハーフェナールは結婚して一人の娘もいる。日本で生まれ育ち、日本語と英語とオランダ語を話すが、国籍は日本。「生まれた時はオランダのパスポートも持っていたんだけど、法律が変わって国籍の一つを無くしてしまった。感情的にはもちろん僕は日本人。でも家族のルーツがオランダにおることは今回の選択とは関係ないよ。僕はより良い選手になりたくてフィテッセというクラブを選んだだけ」

 

フィテッセ? 「そう、僕は子供の頃に1度家族旅行でオランダに行ったことがある。父親に手を引かれてヘルレドームフィテッセの試合を観たんだ。相手のクラブは覚えてないけど、僕はすぐ夢中になったよ。スタジアム、黄色と黒。それからみんなでフィテッセのユニフォームを買った。まだ僕の家に飾ってある。そしていま選手としてそこに行く事になった。面白いね。僕はずっとフィテッセナールだったんだよ」

 

http://www.vitesse.nl/nieuws/bericht/exclusief-mike-havenaar-definitief-vitessenaar/2145