この数週間 J leagueでVARが介入するためのバーが下がっていると感じられるようなシーンが続いており、改めて感じた事をまとめてみる。
1. 2025.9.13 ファジアーノ岡山 - 名古屋グランパス
ゴール前へのボールをクリアしようとした守備側の選手が背後からごく軽く接触され、主審は見えなかった可能性が大きく、副審は見えた可能性がある。最終的に主審が映像を見てfoulと判定して得点取り消し。
2. 2025.9.20 名古屋グランパス - 湘南ベルマーレ
主審はすぐ近くで競り合いを見ており、foulでは無いと判定してプレーを継続。しかし最終的にVARに呼ばれて映像を見た末に、clear errorだったとfoul判定に修正して得点を取り消した。
3. 2025.9.23 柏レイソル - サンフレッチェ広島
16m際でボールを競り合った守備側の選手の頭を経て腕にボールが当たり、主審は見えていなかった可能性が大きいが、映像を見て意図的なプレーから体を大きくした腕に当たったのでno handsと判定、penaltyは与えなかった。
4. 2025.10.4 柏レイソル - 横浜FM
クロスに対して攻撃側の選手が競り勝ったが、主審は映像を見た主審はfoulと判定して得点を取り消した。最初の接触で主審はまだクロスを上げる選手の方向を見ており、見逃されていた可能性が非常に大きい。
最初の判定
VARという制度においてフィールド上で何が起きたかが認識され、判定が行われていたかどうかは、その時点でほぼ全てを決めるほどの重要な要素だ。この制度の大前提は次のルールにある:
・The original decision given by the referee will not be changed unless the video review clearly shows that the decision was a ‘clear and obvious error’.
(主審によって行われた最初の判定は、その判定が‘clear and obvious error’だったとビデオ・レビューが明確に示していない限り変更されない)
VARが'clear error'のみに介入すると強調されているのもこの大前提に則っているからであり、主審はモニターの前でも自分が既に判定した出来事について再判定できるわけでは無く、あくまで自分の判定が'clear error'だったかどうかのみ判断しなければならない。「VARは主審に2回目のチャンスを与えるための存在では無い」と言われるのはこのためだ。
一方でフィールド上で出来事が見逃され、判定が行われなかった場合はerror(誤審)かどうか判断する判定自体が存在しないため、VARはclearで無い状況でも介入する事ができ、主審はモニターの前で自分の裁量によって一から判定をする事ができる。最初の判定が存在しないため、これは再判定では無い (見逃してしまったものを映像で確認できるという点では2回目のチャンスと言う事は可能だが、そもそもそういう意味で使われている表現では無い)。
VARという存在の本質はフィールド上での流れを極力妨げず、フィールド上の審判団によって行われる判定を最大限に尊重し、無視できない誤審や見逃しが起きた場合のみ試合に介入して主審を助けるという点にある。決して容易では無いが、それが実現可能ならVARは間違い無くfootballにとって大きな価値がある存在になれるのは十分証明されているだろう。
見逃しの場合の困難さ
主審がフィールド上で見て判定していた場合は、それがclear errorかどうかの議論のみであり、それ自体簡単では無いが、極論それ以外のテーマは無い。'clear error'の定義は常に議論の対象だが、'100% error'とする組織があったり、そうで無くてもほぼそれに近い基準が世界中で設定されている。問題はフィールド上で見逃されていた場合であり、その際にはVARはより困難な判断を強いられる上に、彼らの仕事を見る事ができない「外の人々」にとっては遙かに理解が難しい状況になり得る。例えば相手の相手を引っ張ってfoul playだと判定した場合に、実際は引っ張っておらず、足下での軽度の接触が相手が倒れた原因だったら?foul playには様々な要因が複雑に絡み合う可能性があり、主審がそれを判定していたとしても、その中身で彼は何を見て何を見逃したのかは重要な要素になる。
さらに‘serious missed incident’とはどういう意味か?という議論は'clear error'の議論に対して驚くほど少ないというか、ほとんど存在していないと言って良い。「最初の判定があった場合」よりも介入のバーが下がるなら、一体どこまで下げるべきか?この競技の判定には広大なグレーエリアが存在し、そこに線を引くのは主審の役割だ。VARが主審の基準を十二分に把握しているのが理想だが、理想であって現実は常にそうとは限らない。そして主審によってその基準が大きく異なるとしたら?そしてそうした判断過程を「外の人々」は基本的に知る事ができないため、「clear errorでは無いのにどうしてVARが介入し、判定が修正されたのか?」という議論が常に起きてしまう。
当時適切な介入かが議論になったWorld Cup 2018 finalでのpenalty判定について
こうした状況では素早い情報公開と判定過程の透明化が非常に重要であり、English Premier Leagueでは数年前からVAR momentについて試合中に素早くプロセスを提示するアカウントを開設。'referee's call'という呼称で最初の判定があったかどうかを示す事で、決して万全では無いもののできるだけ理解しやすくしようと努力している。
主審の権限を守ることで犠牲になるもの
VARが導入された目的の1つは「フィールド上で何が起きたか審判団が把握できないという状況を避ける」というものだった。実際にVARsは試合中にprotocolに反しない範囲で状況を細かく主審に伝えており、様々な形で試合運営に役立つ情報を提供している。競技規則で主審の裁量が強調されているように、VARらその他の審判員は主審が自分の裁量で試合を管理・運営・主導できるように助けるのが役割であって、特にVARがいる場合はフィールド上で主審が行った判定はそれがclear errorでない限り「主審の裁量の範囲内」として最大限に尊重されなければならない。一方でフィールド上の審判団(特に主審によって)見逃されていた場合、VARが「主審が自分の裁量で試合を管理・運営・主導する権限」を最大限に尊重しようとすると、そもそものVARの本質である「フィールド上での流れを極力妨げない」という部分と少なからず矛盾を引き起こす可能性があり、この部分でのバランスポイントを見出すことは率直に言ってかなり難しい。
あり得る解決策
1. 主審とVARのセットをできる限り固定化させて、長期的に主審の基準をVARがより正確に把握できるようにすること。これは理想だが、特に毎シーズン長いコンペティションを行う国内レベルでは目指すべき理想だろう。
2. 見逃しの場合もVARが介入できるバーを極力高くし、できるだけclear errorに近いものだけ介入する。「外の人々」にとっては納得しやすいかもしれないが、試合後に主審が「これは反則であり、罰せられるべきだった」と思う可能性もある。
3. VARが自分の判断で介入を決める。最も容易に思えるかもしれないが、むしろ安易と言った方が良い。モニターの前の主審には不必要なプレッシャーをかける結果になり、「外の人々」には大きな混乱を引き起こす。
4. レビュー時の完全な音声公開。いくつかの国で数回実際の試合でテストも行われており、他の競技では問題無く成功している。VARにとって判断の難しさは変わらないが、間違い無く「外の人々」にとってはレビュー実施と判定修正の理由を最も理解しやすく、納得感も得られやすい。問題はIFABが認めようとしないため実践不可能な事だ。
5. 1回全員で話し合う。実際に試合をプレーしている選手がVARに何を望んでいるのかは少なからず重要であり、各国で行われたアンケートでは多くの選手が「控え目なVAR」を望んでいる事が分かっている。VARが主審を助けたい、ミスや見逃しを避けたいと思うのは自然だが、必ずしも罰しなくても良いと思える見逃しでVARが介入するのは、たとえそれがその試合の主審の基準だとしても多くの人が望んでいないかもしれない。もちろん見逃しの結果、不公平な試合結果になることはあり得るため、試合後の感情では全く別の話になってしまうが。