Mijn Feyenoord

Feyenoordを中心にNederlands voetbalを追いかける

ジョン・グイデッティ、無遠慮の化身

ジョン・アルベルト・グイデッティ。それがいま私の心をつかんでいるフットボール選手だ。両足を自在に扱うブロンド髪の屈強なこのスピッツは、スウェーデン花崗岩を削っていたイタリア人男性の孫として1992年に生まれた。Keniaでフットボールを学び、15歳でストックホルムのBrommapojkarnaユースからマンチェスター・シティへ移籍、この夏フェイエノールトへレンタルされ、ここまでエールディヴィジ7ゴールを決めている。

 

過去、フェイエノールトスピッツたちがどれだけプレッシャーに敗れていっただろう。彼らはさながら現代のアトラスのように、デ・カイプの重みをその肩に感じながらフットボールをしていた。しかしジョン・グイデッティは違った。このバイキングは瑞々しく若々しい無遠慮そのものだ。自信に溢れたスウェーデン人だ。まだ世界は征服していないものの、Twitter上では非常に冷静に@SuperGuidettiと名乗っている。良いじゃないか!@SuperGuidettiと名乗ることに不快に思う人をどうして気にする必要があるだろう?

 

我々の国のフットボール界のうるさ型 ヤン・ムルデルもこのフェイエノールトの若きスピッツのやりたい放題の振る舞いに対し、日曜のStudio Voetbalで癇癪を起こした。浮かれぬ顔で、また興奮顔で、彼はRKC戦の同点ゴール後にこのスピッツが腕を振り回した動作を批判していた。ヤン・ムルデルによれば、ジョン・グイデッティはチームメイトを奮い立たせるためでも、一緒にやって来たフェイエノールトサポーターを盛り上げるためでもなく、自分自身のためのパフォーマンスのためにやったという。だが何が悪い?19歳とは、フットボール選手とは、ストライカーとはそういうものではないか?みな若く、やりたい事をするもの。ジョン・グイデッティもそうなのだ。

 

私が19歳の頃は土曜の夜はデン・ボッシュナイトライフで退屈しのぎをしていたし、真夜中に親友たちとパリまでドライブまでさえしていたものだ。もちろん運転免許も無しに。私たちが何か気にしていただろうか?4時間もせずに私たちの2台の車はハイスピードでLa Defenseのオフィスエリアを抜け、Champs-Élysées通りへとたどり着いていた。

 

ある時スピード測定カメラにつかまったのか、憲兵隊の音がちょっと聞こえたが、みんな何も考えなかった。エッフェル塔の下でディープ・キスをし、再び家に帰ることにはVlijmenのSint Jan Geboorteの鐘が最近亡くなった祖母のために午前11時の時を告げていた。

 

信者席の最前線に座るようなヤン・ムルデルの考えは全く相応しく無い。それどころか嫌になるほどイライラさせられる。パリへの位置や旅行から帰った我々への年寄りどもの愚痴ををまた聞かされている気分だ。それとも世界は我々の頃の方が良かったと、若い世代に対して考える旧世代の悪癖だろうか。だがまさに、特に19歳スピッツの国では、将来は彼らのものなのだ。

 

だから若いジョン・グイデッティは日曜のPSV戦でもデ・カイプの全てを遠慮無く刺激し、扇動し、かき回せば良い。もちろん同点ゴール後に腕を振り回すのだって構わない。

(Renate Verhoofstad)

 

http://www.ad.nl/ad/nl/5619/Feyenoord/article/detail/3060881/2011/12/02/John-Guidetti-de-vleesgeworden-onbevangenheid.dhtml