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失望のオランイェ。EK敗退に至った理由

2008年にベルト・ファン・マルワイクがボンズコーチに就任し、一体感をキーワードに作られてきたチームは2010年の南アフリカ WKではフィナーレまで勝ち進んで準決勝。その後もチームの継続性を重視して予選を圧倒的な成績で突破し、この4年間がオランイェの歴史上最高の時期だったことは疑いない。しかしその結末はEK グループステージ3連敗という悲劇的な形で終わってしまった。ここに至った要因はいつくもあげられるだろうが、主な要因は次の4つだ。

1. 2コントローラ問題とチームの重心

これこそオランイェのこの2年間を象徴する問題だったと言える。ファン・マルワイクはボンズコーチ就任以降、マルク・ファン・ボメルとナイジェル・デ・ヨングという屈強な2コントローラーを常時起用してチームに安定感をまたらしてきた。それが南アフリカでのWK フィナーレ進出という偉業に結びついたのだが、その後始まったEK予選初戦のサン・マリノ戦でも遙かに格下相手にこの2コントローラーを起用したことで、「これぞ契機」と国内の各メディアの『攻撃的フットボール信者』が大々的に批判キャンペーンを展開。生来周囲の声に左右されないファン・マルワイクは意に介していなかったが、デ・ヨングがベン・アルファとの一件で一時代表を離脱したためにラファエル・ファン・デル・ファールトのコントローラー起用というより攻撃に重心を置いたシステム採用を決断。これによって2010年10月のホームでのスウェーデン戦、2011年3月のアウエーでのハンガリー戦という予選のライバル相手に圧倒的なフットボールを見せての完勝。この当時はチームのさらなる成長が感じられ、今になって振りかえればEKに向けて最もポジティブな空気が漂っていた時だろう。

しかしその空気も代表選手たちの怪我やクラブでのパフォーマンス低下とポジション喪失により次第に失われていき、2011年10月のアウエーでのスウェーデン戦でWKフィナーレ以来の敗戦、11月のホームでのスイスとの親善試合のスコアレスドロー、そしてハンブルクでドイツに完敗したことで跡形もなくなってしまった。コントローラーにはストロートマンの台頭もあったが、スタメン奪取にまでは至らず、チームとしてはこの数年間で継続されてきた一体となっての守備が消えてしまった。

その後、チームを立て直すためにファン・マルワイクは形としてはファン・ボメルとデ・ヨングの2コントローラーという「ベース」に戻したが、本来攻撃的フットボールを志向するオランダ人選手たち。1度ピッチ上で味わってしまった攻撃的で魅力的なフットボールを忘れられなかったのか、その後もチームの正しい重心を再び見出すことはできず、ファン・マルワイク自身も外野の声に揺らされていたのか、南アフリカではあれだけ明確だったチームのスタイルを今回は決めかねていたように感じられた。

長期的に見れば二つのスタイルを平行して成熟できなかったのが失敗だっただろう。本大会約1年前の重要な時期に怪我人が続いたことは非常に大きかった。

2. コンディション調整の失敗

対戦した各代表のボンズコーチもコメントしているとおり、オランイェがフィットしていないのは明らかだった。3試合とも前半20分までは本来のフットボールができていたものの、その後急激にトーンダウンする展開が3度。それ以降はプレスをかけることができず、1対1でも全く競りあえず(ファン・デル・ヴィールはDFとしてあまりに悲劇的だった)、ボールを持っても動き出しが無く無謀なパスや単純なパスミスですぐにボールを失うという繰り返しだった。フェルハイエンが指摘したとおり、南アフリカに続く調整失敗はそもそもオランイェのスタッフに問題があるだろう。南アフリカではチームの一体化と手堅い試合運びでまだ勝ち進むことが出来たが、今回は残念ながらそのどちらとも失われており、2年前よりも高年齢化した選手たちが死のグループを突破するにはあまりに悲惨なコンディションだった。ベースキャンプ地を試合会場のCharkovから1200km離れたKrakauに決めたことも疲労を増加させる大きな問題だったはずだ。

3. スピッツ問題と前線の組み合わせ

2コントローラーに続いてこの1ヶ月で最もオランダメディアと大衆の間で議論になったのがロビン・ファン・ペルシかフンテラールか、あるいはその併用かというスピッツ問題だった。南アフリカではファン・ペルシが最後までスタメンスピッツとしてプレー。その後のEK予選ではフンテラールが圧倒的な数字を残し、2011-2012シーズンは共にイングランドとドイツのリーグでトップスコアラーとステータスを上げての今大会。しかしやはりファン・マルワイクの理想のスピッツがファン・ペルシだったのは間違いなく、直前のテストマッチ3試合、特にフンテラールをスタメン起用した初戦のブルガリア戦での敗戦で答えがあまりにもあっさりと出されてしまったのは見ていて明らかだった。結局今回のEKでもファン・ペルシは機能することなく、3試合目にしてようやくチャンスを貰えたはずのフンテラールもあまりにも無気力なプレーに終始。この試合ではファン・ペルシを10番起用したために左サイドに回されたスナイデルも「相手を追いかけるだけだった」と試合後に失望のコメントを残した。

オランイェはアーセナルではなく、(少なくとも本大会のレベルで)ファン・ペルシがスピッツとして機能しないのは明らか。オランイェでの彼の理想のポジション探しは今後も続くことになる・・・

4. 選手たちのエゴの増大

「チームの雰囲気が2年前とは違う」というコメントは大会期間中から多くの選手が語っており、ここに問題があったのは事実だろう。ファン・マルワイク自身、以前から「我々は仲良しグループではない」とチーム内に不満があることを認めた上でプロフェッショナルとしての態度を保つことを選手たちに求めてきた。しかしこの2年間で各選手たちのステータスが大きく変化。ドイツ ブンデスリーガでトップスコアラーとなったクラース・ヤン・フンテラールはフェアなチャンスを貰えることなくベンチ行きを決められたことで不満を露わにし、第2キャプテンのファン・デル・ファールト、そしてリヴァプールでポジションを失ってこの大会に期するものがあった『忠義者』ディルク・カイトさえも、メディアに対して公然と不満を口にしていた。メディアに対して不満を漏らすだけならまだ良い。アルイェン・ロッベンは試合中守備に戻るように指示を出すボンズコーチに対して何度も「黙れ」と叫でいた。

「EKを3連敗で去るのだから、僕ら全員が鏡を見つめなければならない。これはみんなの失敗。グループ内でいろいろあったのは事実だけど、それは内々にしておくべきこと」とロッベンは今大会を振り返っている。

オランイェの今後

他にもEK敗退の要因は小国故の選手層の薄さ、若手の底上げの弱さ、そしてファン・マルワイクの柔軟性の無さなども要因に上げられるだろう。ファン・マルワイクの契約は2016年まで延長されており、KNVBは今のところ解任の可能性は否定しているが。ファン・マルワイク自身が責任を取る形で辞任する可能性は捨てきれない。メディアはここぞとばかりにファン・マルワイク批判に傾いているが、彼がオランイェ史上最高のボンズコーチであることは明らかであり、(少なくともコメントを出している)選手たちの信頼は未だに厚い。今のところ有力な候補者もいないが、いずれにせよ8月に行われるベルギーとの親善試合前までにはハッキリするだろう。

ブラジルでのWKへ向けてチームは世代交代が始まり、ヨルディ・クラーシ、ステファン・デ・フライ、アダム・マヘル、オラ・ジョンらヨングの若手や、これまで代表に縁がなかったルート・フォルメルやダリル・ヤンマート、バス・ドスト、ヨナタン・で・グズマンらも構想に入ってくるかもしれない。現在のエールディヴィジスナイデルロッベンのようなクオリティのある選手はいないが、将来性のあるタレントは豊富。一時代の終わりで国際大会でのタイトルの望みは当分非現実的なものになるが、将来への楽しみはまだまだある。