ヨン・ダール・トマソンはもうユニフォームを着てデ・カイプのピッチに戻ることはない。南アフリカでのWK日本戦で負傷して以来リハビリを続けてきたデンマーク人スピッツに対し、フェイエノールトはサラリー無しのオファーで引退の道を用意していたが、34歳になるトマソンは今日火曜の記者会見で直ちにタオルを投げ、現役を引退する決断をしたと宣言した。
トマソンにとってフットボール選手としてのキャリアを終える決断は決して簡単なものではなかった。
「私のようなフットボール・アニマルにとって今日は悲しい日だ。この1年間リハビリに費やしてきたが、大きな進展はなかった。10日前に私が診て貰っているドクター Peter Vergouwenのところに行ったら、再び最高のレベルに戻れるまで少なくとももう3ヶ月はかかると言われた。そしてその確証も無いとね。私にとってはそれが決定打だった。それでも難しい決断だった」
昨年のWKで負傷した後、もはやトマソンがフェイエノールトでプレーすることは無かった。
「この1年間は本当に辛かった。フェイエノールトが上手く行かないシーズンを送っているのに、自分は日曜にスタンドに座っていなければならなかったんだから。私はプレーするのが大好きだし、このクラブを本当に愛していから、それはとても辛かった。もう自分が現役選手としてプレーできないのはとても申し訳ない。この1年は私のキャリアで最悪の1年だった。私は非常に情熱的な人間であり、カムバックするために全力を尽くしてきた。でもしれが無駄になってしまったのが非常に悔しい」
トマソンはフェイエノールトでのランズカンピューンとUEFAカップ、ACミランでのCL獲得を含む、その印象的なキャリアを振り返った。
「自分の素晴らしいキャリアを誇りに思う。フェイエノールトでのUEFAカップとCL獲得は私にとって最高の瞬間だった。私はいつもモチベーションを高く、自分のキャリアに全力を捧げてきた。これ以上は出来なかった。私はフットボール・アニマルであり、フットボール狂でさえあるかもしれない。でもいま自分のフットボール選手としての時間に厚い線を引く」
すでにデンマークには戻らずにオランダでコーチライセンスを取る希望を語っていたトマソン。今日の会見でKNVBのライセンス取得コースを受けつつ、新シーズンはエクセルシオールのテクニカル・スタッフに加わることになると語った。
「私は本当に監督になりたいんだ。エクセルシオールのテクニカル・スタッフでのチャンスを貰えたことはとても嬉しく思う。トレーナーとしては0からのスタート、まだ勉強しなければならないことがたくさんある。でも私にはフットボール選手としてトップクラスでの財産がたくさんある。自分の経験と知識を若い選手たちに伝えたい」
フェイエノールトにとって過去20年で最も成功した選手の一人であるトマソンが、フェイエノールト・サポーターへお別れの挨拶をする機会としてはこの夏7月31日のオープニング・マッチが予定されている。
「ある意味私のスタジアムになったデ・カイプでお別れが出来るのは素敵なこと。自分自身のプレーでお別れができれば良かったけれど、残念ながらもうそれは私には許されない。でも満員のフェイエノールト・サポーターの前でお別れできるのはとても嬉しく思うよ。ロッテルダムで過ごした年月で私はこのクラブの大ファンになったからね」
トマソンは1992年に母国 Køge BKでその印象的なキャリアをスタート。SC ヘーレンフェーン、ニューキャッスル・ユナイテッド、ACミラン、VfB シュトットガルト、ヴィヤレアル、そして2期のフェイエノールトと渡り歩いた。
フェイエノールトでは159試合出場65得点。1999年に現在までのところクラブ最後のカンピューンとなり、2002年にはUEFAカップを獲った。デンマーク代表でも112キャップを刻んでおり、52得点はPoul Tist Nielsenと並ぶ記録。
http://www.feyenoord.nl/pages/newsdetail.aspx?contentcode=20110607_tomasson_verslag
ヨン・ダール・トマソン、その素晴らしきキャリア
http://www.feyenoord.nl/pages/newsdetail/S1/10010000038513-999-10010000000003.aspx
残念だけれど仕方のないこと、と思っていましたが、コメントを読んでいると予想以上に無念さが感じられ・・・ 本当にお疲れさまでした。